月が綺麗ですね
月が綺麗ですね チロ
「芹沢って、星とか星座の名前どれくらい知ってる?」
唐突にそんな問いを投げてきたのは、前の席に座るクラスメイトの百瀬花苗である。一時間目の数学が終わり、次の授業の教科書をリュックから取り出している最中のことだった。
次の授業って地学だっけ、と一瞬首を傾げそうになったが、確か古文のはずだ。時間割が変わったとも聞いていないし、やっぱり藪から棒な質問だった。
うーん、と唸りながら考える。
「十二星座、オリオン座、デネブ、アルタイル、ベガ、シリウス、リゲル、スバル、スピカ……あー、あとは太陽、月、水金地火木土天海、冥王星? そんくらいだな、ぱっと思い出せるの」
「へー、意外と知ってるのね」
感心したように言う彼女は天文部員だ。ただし、その前に幽霊、がつく系の。おそらく百瀬だって、俺と同じくらいしか知らないだろう。
百瀬は色素の薄い目を細め、にやりと笑ってみせた。
「しかーし残念、私には敵いませんなぁ」
「ほほう、ならばそちらは俺よりも知っていると?」
「今日のためにいくつか調べてきました」
「卑怯かよ」
あっさりタネを白状する百瀬に思わず突っ込めば、「なんとでもおっしゃい!」と胸を張られた。
「で、なんでわざわざそんなことしてまで星の話?」
「今から教える星とか星座を、芹沢にメモってほしいんだよ。えっと、待ってね、今メモ見るから」
そのメモ渡してくれたほうが早いんじゃ、と思ったが、どうも口で説明したがっているようなのでその言葉は飲み込んだ。
メモを取り出した百瀬は、お下げ髪の片方をいじりながら読み上げる。
「まず、イザール」
何の星かまったくわからない。とりあえずノートの最後のページに名前をメモする。
「これはね、うしかい座の星なんだって! うしかい座の……なんて読むんだろこれ、逆に書いた3みたいな……」
「イプシロン?」
「へえ、イプシロンって読むんだ!」
調べてきた割には適当らしい。
「ε星? だってさ。なんだろ、わかんないね。まあε星らしくて、うしかい座のなかで二番目に明るいんだって。うしかい座の神話とかはめんどくさいから調べてない」
「それでいいのか天文部」
「いいのだよ私幽霊だから。で、次行くよ。次はリッリ」
「リッ、リ?」
「リッリ」
「リッ、リ……なんだこれ言いにく」
「ちっちゃい『つ』がラ行に挟まれることなんてほぼないもんねー」
なるほど、と納得してしまったのが少し悔しい。
しかしリッリ。これまた記憶にかすりもしない名前だ。百瀬は何を基準に選んでるんだろうか。
「リッリは小惑星なんだ。火星横断小惑星? なんだって。ちなみにリッリっていうのは女の人の名前」
「ああ、発見者の奥さんとか?」
そういうの漫画で読んだことがある。ロマンチックなことする人がいるんだな、と感心したものだ。
しかし百瀬は「ううん」と首を振る。
「発見者の実験? 研究? の協力者なんだって」
さっきからはてなマークが多すぎやしないか。
「よし、書けた? じゃあ次……」
「ストップ百瀬、十分休みに長話はきつい。これ以上続けるなら昼休みな」
「あー、そうだね」
焦っちゃった、とちょっと照れたように百瀬は笑う。……焦るって何に?
気にはなったが、たぶんそれも最後まで話を聞けばわかるだろう。そう結論付けて、俺は次の授業の準備を再開した。
* * *
昼休みになるや否や、百瀬は振り返って話し始めた。
「次は芹沢も知ってるオリオン座の話ね」
「弁当食わせてくれない?」
「……うん」
しょんぼりとした百瀬を尻目に弁当を机の上に広げる。百瀬はなぜか俺にメモを取ってもらいたがっているようだし、食べながら話を聞くというのも難しい。百瀬も小さい弁当箱を取り出した。
適当な話をしながら昼飯を食べ終え、また百瀬の星話に付き合う。
「えっと、オリオン座からだよね。オリオン座のα星……α星とかε星とかなんなんだろね。で、オリオン座のα星はベテルギウス。聞き覚えない?」
「んー、ペテルギウスなら」
「ペテルギウスは間違いらしいよ。まあ私もペテルギウスなら知ってるけど」
アニメも原作も面白いよね、と脱線しかけて、百瀬は慌てて軌道修正した。
「それで、オリオン座のベテルギウスが、おおいぬ座のシリウス、こいぬ座のプロキオンと合わせて冬の大三角なんだって」
「ふーん。なんか知ってたかも」
「それからさっき芹沢が言ったリゲルもオリオン座だね」
へえ、と相槌を打つ。授業で出てきたから名前だけは覚えていたが、そっか、オリオン座の星なのか。
俺がメモを取り終えるのを確認してから、百瀬は次の星へと話を移す。
「次がベガ。こと座、織姫様だね。有名だし細かい説明は飛ばすね」
「調べてこなかっただけだろ」
あっはっは、とわざとらしく笑う百瀬。
「次は……あ、そうそう、地球。地球も飛ばしていいよね」
「どうせ飛ばすのになんで言う必要が?」
突っ込みながらも、ベガとか地球ならメモを取る必要もないだろう、と次の言葉を待つと、「ベガも地球もちゃんとメモって!」と怒られてしまった。少々童顔気味である百瀬がむくれるとますます子どもっぽい。
……とりあえず言われたことをメモっているわけだが。
『イザール うしかい座、ε星、二番目明るい
リッリ 小惑星
オリオン座 ベテルギウス、おおいぬ座シリウス、こいぬ座プロキオン、冬三角、リゲル
ベガ 地球』
百瀬が何のためにメモを取らせているのかさっぱりわからない。こちらの戸惑いを無視し、百瀬は続ける。
「次、りょうけん座Y星」
「……なんて?」
「りょうけん座、Y星。あれだよ、猟をする犬って書く猟犬」
言われてようやく、頭の中で漢字変換できた。猟犬。りょうけん座Y星……イザール、リッリと同じく全く聞いたことさえない。
「りょうけん座Y星はりょうけん座の恒星で、めっちゃ赤いんだって。りょうけん座Y星は全部の星? で一番赤い星の一つらしいよ」
「……おまえもしかして、りょうけん座Y星って言いたかっただけ?」
りょうけん座Y星、をやけに連呼しているような。今までの話はもしやこれの前フリだったのかと思って尋ねれば、心外そうに首を振られた。
「いやかっこいいとは思うけど! それだけだと思ってもらっちゃ困るなー? Yから始まる星探すのめんどくさかったんだからね!」
「Yから始まる?」
「……つ、次はオリョーノク!」
どもった百瀬は、また聞いたことのない星を言う。星とか星座を選ぶ基準が気になるところだが……Yから始まる星をわざわざ探した、ということは、イニシャルが鍵なのか。
「これは小惑星ね。ロシア語で『鷲の子』を意味するんだって。若い革命家のシンボル、らしいよ」
そういう雑学知識として普通に使えそうな情報はちょっと嬉しい。すぐにメモって、もう一度メモ全体を見直す。
イニシャル……。この場合、説明として言われてたベテルギウスとかシリウスとかは無視してもいいんだろう。
つまり、イザール、リッリ、オリオン座、ベガ、地球、りょうけん座Y星、オリョーノク。
「最後、天王星! 太陽系では三番目におっきいよ。英名? はウラヌスっていうんだけど、ギリシャ神話の天の神ウーラノスのラテン語系なんだってー」
そしてウラヌス。……地球はearthだから、Eだよな。あとは……リッリはR? L? んー……Lっぽい。ベガはまあ、Vだな。
ということは、最初からイニシャルを並べていけば、
「あ、えっ、待った待った、ちょっとやめて!」
I、L、と書き始めた俺に、百瀬が大慌てでストップをかけた。
「私の予定では芹沢がそれに気づくのは家帰ってからだったんだけど!?」
「だって百瀬が、Yから始まる星探すのめんどくさかったーなんて言うから」
「あああああ、私の馬鹿ッ、迂闊……あうああ、やめ、やめて、今ここでそれはやめてえええっ!」
百瀬の悲鳴を聞きながら、またシャーペンを走らせる。
I、L、O、V、E……う、うーん。
「……百瀬」
「皆まで言うなぁ!」
「おまえめちゃくちゃ臭いことすんのな……」
「言うなってば!」
真っ赤な顔で拳を握りしめる百瀬。これ以上何か言ったら殴られそうだ。
ふむ、と考える。せっかくだ、何かこれに相応しい返事がしたい。
ついに机に突っ伏した百瀬に「この机俺のだからどいて」と言いながら、ぴったりな言葉を思いつく。うん、これはいいんじゃないか。今が夜じゃないのがあれだけど、まあ細かいことは気にしないでいこう。
涙目でのろのろと顔を上げた百瀬に、俺はにっこりと笑って。
その言葉を伝えるべく、口を開いたのだった。
あとがき
お久しぶりです、もしくは初めまして。チロと申します。昨年度国立高校を卒業した者です。この度はOP誌に寄稿することができ嬉しく思います。企画を主導してくれたしばば君に感謝を。
さて最近、最後まで読んでから「あ、なるほど!」となるタイトルをつけるのにはまっています。結局最後何を言ったの? と思った方はぜひタイトルに戻ってみてください。
今回はテーマが星ということで、どういう話にしようかなぁと少し悩みました。最初に書き始めたものは地球滅亡エンドになりそうだったので、慌てて破棄して青春もの系へ方向転換。割と糖度たっぷり(?)でお送りいたしました。
またOP企画があればぜひ参加したいです。
それでは、ここまでお読みいただきありがとうございました。
2017年9月 HotchPotch:OPテーマ誌「星」